さらに漂うものたち

ゆらゆらしているわたしのつぶやき

気づいたこと

久しぶりにやや長文を。気づいたことがあって。

 

話し合いの場で意見をしたり、Facebookに自分の考えを発信することに、私はしばしば強い不安を覚える。厳密にいうと、意見を言ったり発信することではなく、その結果返ってくる他者の反応がこわい。違う意見が返ってくると否定されたように感じてしまいがちで、それもこわい。発する前もこわいから、発さないこともあるし、発してからもそわそわや不安が止まらない。これがなかなか困るのだ。
ちなみに私が胸をトントンしていたり、上半身をユラユラしていたら、ソワソワしているサインだよ。さがしてみよう!

 

この不安は自らの自信のなさだったり、考えの浅さの表れだったりなのかな、とごく最近まで考えていたのだけれど、ほんの数日前にひょんなことで気づいたことがあって、思い出されたのは、私が不登校になった時のエピソードだった。私が不登校になったのは約12年前、小学5年生の春。担任の教師が変わって間もなくのことだった。新しい担任は児童たちの間でつくられた「怖い先生ランキング」の上位の教師としてにわかに噂された人物だった。

 

不登校は、何か一つの「原因」があるというよりは、大小さまざまな「要因」があって結果的に「休まさる」という感覚が今のところはしっくりくる。私も何がきっかけだったかといえば今でもよくわからない。10年以上たった今でこそ少し考えることができるが、渦中の子供に不登校の「原因」を問うのは、雨の中に置いておいた水瓶を溢れさせた雨粒を見つけろと言っているようなものだと思う。

 

それはそれとして、私が講演などで不登校のきっかけとしてよく語るエピソードで、小5の新学期が始まり、そのランク上位(笑)の担任からクラスルールの発表なんてのがあったときのこと。「忘れ物について1回目は注意します、2回目は…」などと、忘れ物とそのペナルティ(?)の話があり、うろ覚えではあるのだが、クラスの誰かが「◯回目はどうなるんですか?」と質問して、担任がそれに回答したのを見計らって、私も続いて挙手し「△回目はどうなるんですか?」と聞いた。そしたら担任から「調子に乗るな!」と叱られた。そんなエピソード。

 

まぁ、たしかに調子に乗ったかもなとも思うのだけれど、それでもこちらとしてはもっとウィットに富んだ返しを期待していたから、学校大好き先生大好きだった私としては結構ショックだった。担任をとやかく言うつもりはないけど、今年くらいに母に聞いたら、その年は私のクラスの半分(15人中7人くらい)が不登校になったらしいので、なるほど、となる。それでも当時は担任を疑うことはなかった。「大人(教師)は正しい」と考えていたと思う。だけどやっぱりあの教師にはとやかく言いたいかもしれない。まだ教師をしているのだろうか。会いたくもないが。

 

ちょっと話が逸れた。ともかく、不登校になった頃のことで覚えていることってそんなにないんだけれど、この「担任に発言して叱られた」という体験はなぜか印象が強く残っている。それで、この体験によって「何か言えば叱られるかも」という不安が私の無意識の中にトラウマとまではいかないにしても、「跡」として残っていて、10年以上消えずに生きて来たのかもしれない。ということが「気づいたこと」です。

 

その担任のエピソード自体は、今までそんなに重く考えていなかったのだけれど、会議の場で発言をすることだったり、Facebookに投稿したときだったり、他者からどんなリアクションをされるのか「過度に」不安になっちゃう自分に改めて気づいて、何か背景があるのかもなぁ、と思っていたのと上記のエピソードが重なって、確信は持てないのだけれど妙に納得したのです。

 

自分では「なんてことない」と思っていたことでも、心にくっきりと跡が残ることってある。連想されたのはボタン注射。刺した時のことなんて覚えていないし痛みも覚えていないけど、ふとしたときに気づいたり誰かに言われたりして「そういえば」と注射痕の存在に気づいたり痛みを想像したりするんだ。

そういう記憶ってあるものかもな、と。

 

そう気付いたところで不安がなくなるわけでもなく、この文章も不安になりながら投稿するのだけれど、ちょっと共有してみたいなと思ったので書きました。何か語れそうな人がいたら飲みに行きましょう。