さらに漂うものたち

ゆらゆらしているわたしのつぶやき

2019ねん4がつ3にち

卒業してから昼夜逆転になってきててさ、青空って朝起きて夜寝る人のためにあるような気がしてくるんだよね。

 

いつも誰かしら心配な人がいるのです。

 

食べたくなるよね。

 

地下鉄東豊線元町付近にあります。

 

生きづらいおんも語尾が「おん」なので、HTBのツイートに反応してしまった。生きづらいおんはこちら↓ 

twitter.com

 

何かやりたいなと思うんだけどね。

まずメディアってなんだろうね。

 

NPO繋がりでちょっと仕事をもらえていたので、深夜にやっていました。ココアは粉末タイプ。賞味期限は一昨年。

 

敏感でいるというか、常に言葉を見つめる姿勢を持っていないと、気づかないところで差別や偏見に満ちたことを言っていたりすると思うんよね。

 

「障害」ってのを捉えるとき、障害者福祉で生まれた代表的なモデルとして「個人モデル」と「社会モデル」というものがありまして、前者は「障害は個人にあり、個人を変えることで解消される」というような考え方(「医学モデル」とも呼ぶ)。後者は「障害は個人と環境(社会)との関係のあり方にあり、環境(社会)やそれとの関係性を変えることで解消される」というような考え方。まあざっくりとだから、詳しく正確にはググってみてください。わりと社会一般的には、生きづらさってのは「個人モデル」的に捉えられやすいんじゃないかと感じているのだけど、もっと「社会モデル」が広まればいいなぁと思ってる。どちらが正しいというわけではないのだけれど、「個人モデル」だけで生きづらさを捉えているのは、この世で生きていくにはあまりに苦しい。苦しすぎる。

 

大学卒業して、無職になって、「順調じゃないなぁ」と思った一方で「じゃあ言うけど、今まで順調だったんか自分?」と問うてみると、決してそうでもない。小5~中3は不登校で、高校は皆勤賞で(皆勤賞を「立派」とするのは反対派です)生徒会長もして、大学進学して、というとすごいと言われもしたけど、大学3年の時に教育実習に行くとメンタルをずたずたにやられてしまって、実習中に首を吊りかけるところまで行ったりもした。そして新卒無職。世間の言う「順調」とは程遠いだろう。しかし、順調とは「予定通りにいくこと」というような意味で、そういえば私の高校の時の担任は「予定は未定」などという名言(?)をしきりに言っていた。当時のクラスメイト達は煙たがっていることも多かったように思う。私も最初は「何言ってんだよ」みたいに内心思っていたかもしれない。しかし、学年が上がるにつれ、大学入ってからなんとなくわかるようになってきて、最近では自分で言うくらいだ。ちょっと楽になれるんだよ。だって予定は未定なんだもの。順路は下りたのだから、オフロードの凹凸を楽しみたいものだ。オフロードは歩きにくいけれど、歩いた「轍」を残しておくと、後の誰かが歩きやすかったり、転びにくかったりするんじゃないかなと思いながら生きている。

 

えーでも声にしない方がいい声もあるかもよ??

 

受け継がれました。ありがとう。

 

していました。

 

「できる・できないではなく、どのようにできるかだ」と考えていたこともありましたが、できないことはできないもの。できることからやろうぜ。

ミサンドリーは男性嫌悪の意。知ったのでツイート。