2019ねん4がつ2にち
所属とか肩書きとか「何かをやっている」ということも居場所なのだと気づく。なくなると不安になるのである。
— きむきむ (@cory614) 2019年4月2日
大学を卒業して、ボランティアやなんかもだいぶ控えると、所属や肩書など、自らが「何かをしている」ということにすがっていたことに改めて気づく。「自分の所属は自分だ」という名言(?)もあるようだけど、そこまできっぱりとは割り切れなかったり。なんかもっとその辺にあるものに所属していられたらいいよね。土とか風とか。
一貫した主張も大事かもしれないけれど、いろんな表現をしていかないと主張のゲシュタルト崩壊が起きてくるように思う。
— きむきむ (@cory614) 2019年4月2日
ある1つのことを主張し続けるのもきっと大事なんだけれども、同じように言っているとだんだん自分でもそれがなんだかわからなくなってくる(「主張のゲシュタルト崩壊」とした)ような気がしたのです。それで、いろんな表現できるといいかなーってね。
寝たのに眠くてつらみだね
— きむきむ (@cory614) 2019年4月2日
つらみはあるよね。ねむみでつらみ。つらみでねたみ(寝たみ)。
定年退職した夫が、妻が何をするにもずっとそれにいちいちついてきて鬱陶しい。というような話がニュースになっていたことがあった。あれも1つの居場所のなさなのだろう。会社と家以外の場所に居場所がないという。それは案外危ないことだ。 https://t.co/jpcEPf672I
— きむきむ (@cory614) 2019年4月2日
先の所属や肩書のツイートをしてからふと思いついた。思い付きでツイートすると「〇〇は~~だ」という断言してしまうことがあるから、それは結構危ないことだ。
コーヒー飲んでから行こ
— きむきむ (@cory614) 2019年4月2日
出かける前にコーヒーを1杯飲むくらいの余裕がある生活を営みたいものです。
生きづらの振り返りで出た意見はもう少し分析考察を行うと面白そう。
— きむきむ (@cory614) 2019年4月2日
生きづら研究会の2018年度活動振り返りをしたんですね。参加してみてどうだったかとか、どんな場であってほしいかとか。kj法で。それをもう少しじっくり分析してみたら面白そうだなーって。
最初から「ちゃんとやろう」としているとちょっとできなかった時にキツくなりやすい。「それなりでいいや」くらいで始めておくとちょっとできた時でも「自分やるじゃん」と感じられる気がする。
— きむきむ (@cory614) 2019年4月2日
そうそう、「気がする」とか「思う」とかつけて断言しないようにしとくといいよ。当分はね。自分やるじゃん。
昨日から無事ニートとフリーターの中間層みたいになったわけだけど、今まで通りのことをやりつつ、新たに私なりの地域の居場所づくりをやってみようかと目論んでる。
— きむきむ (@cory614) 2019年4月2日
「ニートとフリーターの中間層」ってなんだよ……。