さらに漂うものたち

ゆらゆらしているわたしのつぶやき

2019ねん4がつ2にち

大学を卒業して、ボランティアやなんかもだいぶ控えると、所属や肩書など、自らが「何かをしている」ということにすがっていたことに改めて気づく。「自分の所属は自分だ」という名言(?)もあるようだけど、そこまできっぱりとは割り切れなかったり。なんかもっとその辺にあるものに所属していられたらいいよね。土とか風とか。

 

ある1つのことを主張し続けるのもきっと大事なんだけれども、同じように言っているとだんだん自分でもそれがなんだかわからなくなってくる(「主張のゲシュタルト崩壊」とした)ような気がしたのです。それで、いろんな表現できるといいかなーってね。

 

つらみはあるよね。ねむみでつらみ。つらみでねたみ(寝たみ)。

 

先の所属や肩書のツイートをしてからふと思いついた。思い付きでツイートすると「〇〇は~~だ」という断言してしまうことがあるから、それは結構危ないことだ。

 

出かける前にコーヒーを1杯飲むくらいの余裕がある生活を営みたいものです。

 

生きづら研究会の2018年度活動振り返りをしたんですね。参加してみてどうだったかとか、どんな場であってほしいかとか。kj法で。それをもう少しじっくり分析してみたら面白そうだなーって。

 

そうそう、「気がする」とか「思う」とかつけて断言しないようにしとくといいよ。当分はね。自分やるじゃん。

 

ニートとフリーターの中間層」ってなんだよ……。