さらに漂うものたち

ゆらゆらしているわたしのつぶやき

2019ねん4がつ14にち

へけっ。

 

話したかった人と話せました。

 

ソフトボールサークルでよく来ていたのです。

 

2つ以上の道があると、どれか1つを「歩むべき」と決めてしてしまいそうになる。

 

歩くことで寂しさをクッキー生地みたく薄く伸ばします。

 

断言によって切断される人がいる。

 

「ああ、いいなぁ…」と思いつつ、1人で入れずまっすぐ帰る。

 

しかし買わない。ホヤってどうやって食べるんだろう。

 

「素敵」にはどうして「敵」が入っているのだろうと思い調べてみると、もともとは「素的」(「素晴らしい」+「的」)だったという説があり、そこから「素晴らしすぎて敵わない」ということから「敵」が当てられたという説があるらしい。なんというか、若者言葉的だな。「〇〇的」というのは今でもよく使われる。最近の若者言葉だと「〇〇み(〇〇味)」というのがあり、「〇〇みが深い(〇〇の程度が激しい)」というように使われる。「わかりみが深い(すごく共感する)」「つらみが深い(めちゃつらい)」など。「素的」を現代的に言うならば、「すばみが深い」だろうか。「すてみが深い」も悪くないが捨て身感が拭えない。

 

ソラニン

 

「世代の死角」「時代の死角」みたいなのがあるかもね。

 

カルーアミルク的になるかと思って。

 

効用である。

 

Sex Pistolsの『Got Save The Queen』のジャケットが連想された。

 

部屋の片づけは習慣づけないとなぁ。

 

まあ健康的な食事は用意できていないんだけどね。

 

たまに家出してくる人がいるから。

 

「やりたくてやる」ってよりは「だって必要じゃん」という心持ちでやっている。 じゃあどうして働いていないのと聞かれると困っちゃうね。

 

眠れると思うじゃん?

 

料理好きなおじさんがいろんな調理方法でセロリを食べさせてくれるものだから。